mellow yellow sky

All photos and words 2015- © ayako nakamura / All rights reserved / Photos and words may not be used without permission

harden the paint

お題「誰にも信じてもらえない体験」

f:id:mellowyellowsky:20171209222302j:plain

 

5年前、関西のとある駅で不思議な体験をしたのを思い出す。


その日は雪が降っていた。
クリスマス近いとはいえ、閑静な住宅街。
わたしはたまたま、そこに日帰りの仕事で来ていた。

 

仕事が終わり、駅までタクシーの使用許可が出ていたのに、タクシー会社と電話が繋がらない。
乗ろうとしている列車はあと15分で発車する。
地図で確認すると、現在地から駅まで、徒歩で12分。
迷っている暇はなかった。
ひとけのない場所をひとり、歩くことに。

 

携帯のGPS頼りになんとか市街地を抜け、線路沿いまで辿りついた。
駅まで、5分。右手に線路、左手に街並み。
築60年といったところか、木造の家が立ち並んでいた。
○○病院、と大きく書かれた漆喰の看板が目に入る。

 

得体の知れない恐怖を感じたのと同時に、視界の向こうに黒いパーカーの男の影がうっすらと見えた。

 

足が悪いのか、男はひょこ、ひょこ、と時折右側に傾く。周りは漆黒。そして、いつのまにか音もない。
そうこうしている間に、男との距離が縮まっていく。携帯をみる。列車の出発まで、あと3分。

 

間近で見る男は、軍人のような鋭利な空気を帯びた老人だった。
危険、という信号が頭の中でチカチカした。

心の中で自分のあるいた歩数をかぞえる。
1歩、2歩、3歩、4歩……そして、

一気に、追い抜く!

 

と。
途端に街灯が増え、コンクリートの建物が視界に広がった。
狐につままれた気持ちで後をみると、老人がポケットから携帯を取り出したところだ……
足は、引きずっていない。

 

 

フワッと、現代に戻った気持ちになった。

 

わたしは電車にも間に合い、帰途につきました。
けれど、いまだにあれは本当のことだったのか、
あるいは、その吹雪の中に自分の何かを置いてきてしまったのか、判然としないのです。

美術館 ×「バズる」

母校にて森美術館広報担当の方の講演があると聞き、伺ってきました。

【創造表現学部】学生企画イベント「美術館とソーシャルメディアの可能性」開催のお知らせ|愛知淑徳大学

 

現在の美術館のSNS戦略を、具体的に企業相手に話す以外は稀な機会だったそうですが、

「足を運ぶきっかけとしてチラシは有効か?」

Facebookでのインプレッションには何が目に留まりやすいか」

等のお話を伺う事ができました。

 

TwitterFacebookなどは、流しそうめん的な所があり、情報が流れて行きやすい

(と、ここで、スライドに流しそうめんの画像が)

 

そうしたところで、いかに見てもらうかを考えると、、、

という具体的な対策や、
過去最高の「バズった」投稿は何であったか等、
結構踏み込んだ内容を教えていただきました。。。

 

正直に言うと、

もっとたくさんの人、入ってええやろ。

と、そこはとても残念な企画でした。

 

在学中の色々も含めて悶々としたのは事実ですが、
つまり、同時代のアーティストの作品を展示する場としての美術館が、
フツーの個人 = 一般人がSNSで作品をシェアしていくことについて

 

シェアが個人のインスタ映え欲求だけでなく、
広がった先の、人類全ての人への文化のシェアに繋がり、
心を豊かにさせることに繋がる

 

と(多分このようなニュアンスで)
捉えていると仰ったのは、
なかなかエモくて、タマシイ震えました。。

続、本のはなし とRPSの展示について

お題「一気読みした本」

 

展示中は、縁がチョイなのにびっくりする方がいてはいけない

(というか、今後の接し方に戸惑われるのも相手が気の毒かな)

と思いましたが、

私の、後ろ暗い過去の話

how to erase the memory - mellow yellow sky

について。

良い本がありました。

 

 正直、もっと早くに読むべきでした。

 

具体的なネタバレは他の方に譲るとして、

断片的な感想としては、

「哲学書が回りくどいのは、普通の人用だから」というくだりに、爆笑。

皆が「ふつう」だと思っていることは、
実はとても色彩豊かで、あたたかい。
社会復帰できた被虐待者はよく気づいている…らしい、とか、

そういう観察眼もあるのか、と。
ちなみに、被虐待者は財界人にも多いとか(まあウォルト・ネズミーさんもそうとかいうし…ね)。

そんなことを、ふーん、と読みながら。

 

そして、読了後に一番感じたことは、
「愛されたかった」のか、ということ。

私の場合、危害を加えられた張本人の、幼稚園の先生に。


私は、彼女は普通の「きれいなお姉さん」だと思ってた。
でも、3歳児に
「私は世界でいちばんのブスです、
だから死んだ方がいいです」
って、カビ臭い体育倉庫で毎日復唱させるひと、普通かよ?!
と今頃気づけただけ、収穫。

 

あと、私と似た境遇の方には

同じ作者の

も、おすすめです。

 

そして。

 

ここ最近、本当に気になっているのは、

東京・曳舟RPSで展示中のInternal Notebook。

NHKニュース on Twitter: "【「見えない虐待」 写真で感じて】 東京都内で開かれている「子どもの虐待」をテーマにした写真展。少し曲がった警棒や「死にたい」と書かれた文字など、暴力や負のイメージを伴う写真を通じ、見えづらい虐待を「見える化」する取り組みです。 https://t.co/gCkMFjykjG"

 

正直、観に行ったら正気で帰れる自信があまりない。

作家さんにもギャラリーにも接点はないとはいえ、被虐待者としては、当事者。

虎と馬に向き合わざるを得ません。

 

ほんと、忘れた方がいいことなんだけれど、

全く「ない」と、私が私でない気もして。

それはまるで、暗闇の中で光る宝物を1人で眺めているようで、

そしてナルシシズムの一種であることは間違い無くて。

 

悲しみの扱いっていうのは難しいものがありますね。。。

 

しかし、

毎度この話をする際に誰かに言うのは、

「かなしいこと以上に、楽しかったり嬉しいことがあったから生きてる」

のであります。

 

そして、喜びも悲しみも、

感情のただのベクトルに過ぎないということです。

 

何というか、うまく結べませんが、

ポジティブシンキングで全てを排除して生きるのでは無く、

ポジティブ心理学の方で、

暗くても明るくても、

ひとはひと、

傷も個性

と、

 

そして、これからどんどん妖怪オバニャンになって、いけ図々しくなっていくとは思うものの、

なるたけ、弱きもののそばに目線を置きたいと、思うのであります。。

 

 

…で、追記

前の記事に書いた「喉のおともだち」が治らず、会期中名古屋に缶詰の可能性、大。

だれか…私の代わりに…観てほしい…。。。

ノンフィクション

 

ひでえもんです。

喉に違和感があるまま、働いていました。

仕事を辞め、展示をして、

あー落ち着いたなー、とようやく耳鼻科へ。

 

結果、

けっこう良い感じにひどい咽頭炎だそうです。

それも、もうすこしほっといたら、生命の危機。

 

全く。

何にもならないまま、死ぬのだけは嫌です。

 

死にたいと思うことは多々あったけれど、

その全ては「生きたいから」です。

 

生協の白石さんではなく、死の白石さんが話題ですが、

ほんと、

「死にたい」と呟くアカウントを消したところでなんの意味にもならない。

 

脱線した。

 

神様、

私は神様ってあんまりそこまで信じてるわけではないけれど、

もっと、きちんと、作品を世に出してからの方が嬉しいです。

 

zine、ええもんできました。

各所に届けて、もすこし悪あがきしたいと思います。

 

ええ、治してからね!