東北、2015年、春。①
私が東北に行くのは、
以前書いたことがありますが、
4年前の東日本大震災の際に自分自身の体調やさまざまなことで、ボランティアに行けなかった過去があるから。→■
「いまできなくても、未来に、できることがある」
カメラマンとして働く身、
自分の目で見た事を伝える、ということには
おそらく、震災当初よりも、後日の方が、必要になってくるとも考えたからです。
自分の目で見た「被災地」は、想像を絶しておりました。
去年、ようやく足を踏み入れることができた宮城県・東松島市野蒜。
津波がすべてを持っていってしまって、大地には生活の痕跡もなく、草木だけが生え、工事の音が鳴り響くさみしい場所になってしまっていました。
後日、かつての野蒜駅付近の写真を見た時、本当に「人が生活していた場所」だったのだと知り、心が苦しくなりました。
今年は、陸前高田・気仙沼・南三陸町・そして東松島市は陸前小野へ。
震災から4年。
私の住む名古屋から西では、震災のことを「もう復興したもの」「援助がいらないもの」と思うひともいます。
それでも、津波の痕跡は大地に、ひとの心に、いまだに癒えない大きな傷跡を残しています。
「大丈夫です、手伝えなかったからといって気に病まなくても。
震災は、日本中、いつかどこかで、起きますから」。
陸前高田を訪れた際、BRTの運転手の方に言われたひとことが、
いまも胸の中に、突き刺さって、はなれません。
(写真はiPhoneより)