東北、2015年、春。④ 気仙沼線BRT(気仙沼、南三陸町、そして柳津へ)
気仙沼線で、再び岩手県から宮城県へ。
気仙沼から陸前高田までと同じく、鉄道はまだ復旧していないため、代替バス(BRT)による移動となる。
それにしても、BRTは内部に工夫がなされている。
私が乗った気仙沼線のBRTはカラフルで、かわいらしい内装がされている。まるでおとぎ話の世界に入ったかのよう。
森の中をイメージしたような車内には、キノコの置物や動物の絵がいたるところにあって、ちいさな子どもがとても喜びそうだ。
が、ひとつ気にかかることが。
PRのためか、モニタで東北各地の名所の春の映像や、復興に意欲を見せる店などが映し出されているのだが、
車両に乗っている旅行者は、「わたしひとり」。
外部業者に委託し、実際に被災地に行ったことのない人の作った結果なのだろう。
これ、本当に地元の人が欲しい情報かな?
地元に密着した「復興」って難しいんだな、と思う。
広い気仙沼町を抜けて、南三陸町へ。
その間、地元の高校生たちが多数、乗り降りする。
その中で、シャッターを切る音が響く。私の、だ。
野球でもやってるのだろうか、体つきのいい男の子が、ものすごい形相で車窓から見える土砂を睨んでいる。これは私への威嚇かな。
うっとうしいよねえ。
でもここから離れたら、みんなの暮らし、知らないんだよ。
震災、忘れてるんだよ。
だから、伝えたいんだよ。
…お節介だっていうことも、わかってるよ。
数時間前、別のBRTで話したことを思い出す。
「あー、やっぱり都会の人は知らないですか…そうでしょうね。忘れてきてますよね」
「また、忘れた方がいいですよ。でもね、
震災は、日本全国で、起こりますから」
「なんか、撮ってて心が痛むなあ」
「そんな繊細で大丈夫かい?」
「ウーン…でも、カメラマンってタフなだけの人、ごまんといるんですよ。感じる力がないと、いい写真は撮れないんじゃないかなって思ってるんですけど」
…繊細でタフ。これが一番いいよね。
難しいね。
傷つきながら、撮ってる。
あなたの楽しいことも悲しいことも、瞳に映ったもの、撮りたいんだ。
でも、青年、きみに心の中で言い訳してるようじゃ、わたし、まだ駄目だね。
人気のないボランティアセンター(※私の訪れた4/8はお休みでした)や公民館には大きな駐車スペース。
そして、ぽつん、ぽつんと、
忘れ去られたようにそこに残る建物。
そして、ニュース映像でも何度となく見た、南三陸町の防災庁舎。
自然の前に、人はほんとうに無力だ。
でも、諦めたらそれで、ほんとうに何もできなくなる。
だからこそ前を向くしかない。
それですら、ある種の諦念なのかもしれないけれど。
それでも、希望は、ある。
いたるところの重機。嵩上げ工事。
積み上げられる土砂、波消しブロック。
壊されても、壊されてもまた、私たちは造り出す。
造り上げることが、できる。
それは、大きな力の前にはひとにぎりのものに過ぎないとしても、
人は、再び、歩きだす。
海沿いを離れ、BRTが柳津に近づく。道は山際を通り、バスは人の手で掘られたトンネルを抜けてゆく。
暗い闇の中、車内ではガイドライトが明滅するように、高校生の女の子の顔を照らしていた。彼女の顔は、心なしか、いささか疲れているように見えた。
明るい光が差すのは、やっぱり、電車が通る頃なのかな。
トンネルから抜けるのは、いつだろうね。
そんなことを思った。