mind the gap
せかいじゅうのひとと、ぼくら、ともだちになれる。 話せない人はいる、でも、それは日本人同士だっておなじだ
名古屋は田舎だと思っていたら
結構都会だったらしく
色々な土地の方と接すると驚くことも多々ありました。
その一つが、違う宗教の人と出会った時の反応です。
我が家はごくふつうの仏教でしたが
ご近所には
○価○会、ま○かりさま、あ○おき会、
ク○イスト教(プ□テスタントもカ○リック)、モル○ン、ヱ○バ、
その他の方がたくさんいらっしゃいました。
でも、特に喧嘩することはなかったです。
皆さん真面目な方だったし、
こわいと思ったことはまったくなかった。
事故時の輸血の対応だけは
「あそこのおうちは輸血できないからね…」
という話にたいそう驚いた覚えはあります。
(ごめんなさい、正直な部外者からの感情です…
信条を理解すれば、勝手にされたら困るかなと思います…)
でも、「信条に口をだしちゃあいけないよ」というのは
当り前のことだったような気がします。
同じように小学校では先天性疾患を持った方もいて
筋ジストロフィーの子がいたり
ダウンちゃんがいたり
アルビノの子がいたり
ADHDの子がいたり
……
今思えば、
それってとっても
重要だったのかもしれません。
色々な人と、色々な価値観と触れることができて
私はしあわせだったのだと思います。
が。
大人になってSNSで会話をした方と何人かとお会いして
ビックリしました。
「あの辺は○○だから」
「ああ、○○教か話が合わない」
「○人? だったらサヨナラって思った」
!!!?
地域で人を判断するの?
宗教違ったって、ごはん一緒においしく食べられるのに?
国や人種が違ったっていいじゃない?
むしろ、たくさんの国や人種、宗教のおともだちがいることって、
たのしくないのかな???
話が合わないから、妥協点を探るんでしょう?
サヨナラって、プッツリ切ったところで、
もし共通の知り合いがいれば、また会うんだよ。
ご近所なら、否応なくお付き合いするんだよ???
と、
思いましたが、その場はニコニコ笑って
その後、風が去るごとく、フェイドアウトさせていただいております…
(でも、まだ話せると思う。話す気がないけど…)
このところのニュースを見ても、
同じ頭痛がします。
何なんだろうなあ。
いい大人の方々がなあ。
やさしさの足りなさ。想像力の足りなさ。
あとは、実質的な「経験」なのかな…
それも、ただ「会う」んじゃなくて
良い関係の経験、ね。
あ、SNSについて
余談ですが
私は個人的に、一度話をしたひとについては
フォローいただいてたら、以降はブロックはしない主義です。
Facebookはなるたけお友達は外さない。
(精神的・肉体的苦痛があればします)
最近、知人Aから
「(共通の知人)BからSNSでの付き合いを解除された」
という話を聞いていて、
フムフム…と思ったら
自分も解除されていて、ほーおと思った次第。
SNSでサヨナラってのは、根幹からサヨナラなんだとは思う。
だがしかし、世の中ってコワイです。
会うんですよ。また、共通の知人C(仮)とかと。
自分もしたりされたりして学習したからne...
リフォローなどは、
(以前自分がされたような)
ぬるい笑顔で歓迎します。
去る者は追わず、来るものは拒まず。