mellow yellow sky

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Boys in the band ; VIVA The Libertines !

私の青春はリバティーンズでした。

と、認めてしまうのは、なんだかどこか気恥かしい。


それは、演奏がちょっと下手っぽいからでも
腐女子が喜ぶ感のせいでもなく
これこそがロックだ、というくらい
ものすごくキラキラと輝いて、刹那的に生きているから
なのかも。

そう思ったのは、
アンドリュー・ケンドールという
NMEを中心に撮っていらっしゃった写真家の方の
この写真のせいかもしれません。

The Libertines

photo taken by Andrew Kendall



背後のカメラのフラッシュだというのに、
何か、この二人の間にかかるだけで特別な光に見えてしまう。
これはCan't Stand Me Nowの出る前くらいの写真だったと思います。
一番ヒリヒリとした痛々しい頃だったんじゃないかな。

「どんなに頑張っても、これ以上の最悪な状況は作れない
お前は嘘つきさ、でもまだ愛してるんだ」
「我慢できないんだろう / 俺こそだ」 - Can't Stand Me Now


そう相手(カール)に歌わせる、作詞者・ピート。嫌な奴め!
(作詞において、当代でこの人は右を出る人はいない
天才だとは思いますけど、だからこそ!)


「ツインソウル」なんて言うじゃないですか。
誰もが、失われた片割れを探してる。
ヘドヴィグ・アンド・アングリーインチじゃないですけれど。


「あ、このひとダブルじゃないかな」。
そんな風に思った相手が私にもいましたが
まさにCan't Stand Me Nowの状況の最中に、
お互いの癇癪に我慢できなくなってしまった。
(子どもでした。お互い)


だからこそ、
まるでひとつになるように歌うこの二人をみていると、
とても羨ましく見てしまいます。


復活したリバティーンズ
gigを観るのはちょっと怖かったし、
ピートもカールもお肉がついたし(ごめん)、
ビジュアル的にはどうなのと思いながら。



でも、グラストンベリーでは
かつてと変わらない光がそこにあって、
安心しました。


日本にも来てほしい。
特にフジロック。二人で、リベンジしてくれよ。
カール1人だけでふたつのマイクを行き来する姿は
あまりにも寂しかったんだよ。

 

あの頃は、こうして再結成してくれるとはとても思えなかったけれど。
また良い曲を書いてほしいものです。

 

Festival ! Festival !! Festival !!!

 ヨーロッパはフェスシーズン真っただ中ですね。

金曜日からのグラストンベリーフェスティヴァルの中継を見ていて
気がついたことがあります。


「あれ? こんなにも20代の出演って少なかったっけ??」


ちょっと調べてみると。

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(☟元記事より抜粋)
やっぱり、激烈に平均年齢が上がっております。


おととし、Foalsのヤニスちゃんが
「90年代のバンドのばっかりヘッドライナーやってんのって飽きるよね」
と言っていたのをよーく覚えております。

これ、大問題だと思います。


私自身も、7年ほど、洋楽人生お留守にしておりましたが、
私が最も音楽を聞いていた時期と
ヘッドライナーがほぼ変わりありませんもの。


フェスを観に行く余裕のある30代以降に客のターゲットを絞っている、
ということはつまり、
ロック、てのは懐メロになりつつあるんでしょうか。


オーディエンスの年齢も是非、計算していただきたいものです…。。。

写真業の未来について

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オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン氏が
人工知能の研究を元に発表した
「未来の職業」についての考察が世間を騒がせたのは、
日本では昨年末のことだったでしょうか。 

原文を読む機会がなかったのですが
あらためて読んでみるとかなり辛辣です。
写真業も、なかなか….。

 

今後、機械化されると予想される職業 
91位  2.1%
写真家 Photographers

332位  60%
TV、映像・静止画のカメラマン Camera Operators, Television, Video, and Motion Picture

658位  97%

カメラおよび写真の機器修理者 Camera and Photographic Equipment Repairers 

694位  99%
写真の現像・機械オペレーター Photographic Process Workers and Processing Machine Operators 


修理工や写真屋という職業は
機械化される可能性が90%以上という予測に対し、
写真家の「2.1%」という数字は
「芸術としての写真」の職はなくならない、ということかと思います。
(より狭き門になりそうですが…)


要するに。
「写真屋がユーザーに対し、新しい提案ができていない」
わけです。

正直、そうなんですよね…
「町の写真屋さん」にいたことがある身としては
とても悲しいですが、
お客さんとしては
画質にこだわらなければ、家で出来た方が手軽ですから…

 

暗い現実は、見えすぎるほど見えています。
でも、頭をやわらかくして、
写真にできる、新しいことを見つけないと。


「プリントを応用する」ことという既存に縛られずに、
ドラえもんの世界のような話を現実にできる
「イメージ」と「技術」
 どちらも持つところにしか、未来が訪れないんじゃないかと。


すごく突拍子もないことを言います。

○撮ったものが手の中で浮かぶようなホログラムを作成する
3Dプリンターを進化させて、各々の「記憶」を
一瞬で立体化できる工房のようなものをつくる
○新聞社や出版社と組んで、
記憶端末をインストールできる場を作る


(いま、ふわっと考えたことを無責任に書いてみました…)


「思い出」を残すことの中継点として、
「あったらいいな」を考えること。
それこそが、写真業に必要なのかなと。。。


(「記念写真の未来」についてはちょっと策が…これはまた今度)

mind the gap

 

MIND THE GAP

MIND THE GAP


名古屋は田舎だと思っていたら
結構都会だったらしく
色々な土地の方と接すると驚くことも多々ありました。

その一つが、違う宗教の人と出会った時の反応です。


我が家はごくふつうの仏教でしたが
ご近所には
○価○会、ま○かりさま、あ○おき会、
ク○イスト教(プ□テスタントもカ○リック)、モル○ン、ヱ○バ、
その他の方がたくさんいらっしゃいました。


でも、特に喧嘩することはなかったです。
皆さん真面目な方だったし、
こわいと思ったことはまったくなかった。


事故時の輸血の対応だけは
「あそこのおうちは輸血できないからね…」
という話にたいそう驚いた覚えはあります。

(ごめんなさい、正直な部外者からの感情です…
信条を理解すれば、勝手にされたら困るかなと思います…)

でも、「信条に口をだしちゃあいけないよ」というのは
当り前のことだったような気がします。


同じように小学校では先天性疾患を持った方もいて

筋ジストロフィーの子がいたり
ダウンちゃんがいたり
アルビノの子がいたり
ADHDの子がいたり

……


今思えば、
それってとっても
重要だったのかもしれません。
色々な人と、色々な価値観と触れることができて
私はしあわせだったのだと思います。



が。

大人になってSNSで会話をした方と何人かとお会いして
ビックリしました。



「あの辺は○○だから」
「ああ、○○教か話が合わない」
「○人? だったらサヨナラって思った」


!!!?


地域で人を判断するの?
宗教違ったって、ごはん一緒においしく食べられるのに?
国や人種が違ったっていいじゃない?

むしろ、たくさんの国や人種、宗教のおともだちがいることって、
たのしくないのかな???


話が合わないから、妥協点を探るんでしょう?
サヨナラって、プッツリ切ったところで、
もし共通の知り合いがいれば、また会うんだよ。
ご近所なら、否応なくお付き合いするんだよ???


と、
思いましたが、その場はニコニコ笑って
その後、風が去るごとく、フェイドアウトさせていただいております…
(でも、まだ話せると思う。話す気がないけど…)



このところのニュースを見ても、
同じ頭痛がします。


何なんだろうなあ。
いい大人の方々がなあ。

やさしさの足りなさ。想像力の足りなさ。
あとは、実質的な「経験」なのかな…
それも、ただ「会う」んじゃなくて
良い関係の経験、ね。


あ、SNSについて
余談ですが

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how to erase the memory

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(さいきんちょっとくだけすぎていたので
真面目にかきます)

しあわせなこども時代

という記憶が、
私は平均よりすこし足りなかったかもしれません

幼稚園の女性の先生から
食べ物に顔をつけられるなど、日常的に虐待されておりました


そういうことって親には言えなくて
発覚は
口にばんそうこうを貼られて家に帰ったから
(泣くのがうるさいとのこと)
(もっとも、その頃には「静かな泣き方」を編みだしてしまっておりましたが)


とはいえ
転校したため
すっかり平和な幼稚園児に戻り
3歳の時の嫌な記憶、というものは
5歳の自分の中には見事に抜け落ちていました


思い出さないようにデリートするんですよね、脳って


ものすごくつらいことがあると
「平気、大丈夫。
あのときよりつらいことはないの」
そう思いながら乗り切ったのが、
自分の幼少期~青春までだった気がします

それと
手で覆って
ぎゅっと目を押したときに見える
目の奥の光

「ひとの中には光があるのね」

それがとても綺麗で
そのために生きようと思ったこと


後に埴谷雄高の小説「虚空」を読んで、
埴谷は同じことを見抜いていたことに嬉しくなりました
以来、好きな小説家には埴谷の名をあげております
難しいからすべて読んだわけではないけれど


社会人になって
身体を壊した当時の記憶も
さっくり忘れたいのですが
中には玉石混淆なところもあって
忘れたくないものもあって
困ったものです

……


最近、ふと思うのです
つらい記憶を変える方法について

経験的に言えるのは

「たのしい記憶で、塗りつぶす」こと
これに尽きると思います


「時間が解決する」
なんていう人がいますが
ただじっと
部屋で時間が経つのを待っていても
解決は訪れません


楽しいことを
少しでも多く
体験していくこと
笑顔になれることを心掛けること

時にはすこしだけでも
自分に甘くなっても、いいと思います

すこやかに
だれかにやさしくを
じぶんにもやさしく、に


そして
元気になったら
誰かに元気をあげに行きましょう


そんなことを思うのです



追伸 子どもの頃、同じ経験に遭われた方へ

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