ZINE、つくりました
まずZINE、とは。
自費出版で作る冊子のことです。
同人誌となにが違うのかというと、基本的には同じです(違いは語感くらいですかね?)。
今回の展示は会場の設営方法では伝えきれないと思っていたため、
紙ベースでの伝え方の方が良いのではないかと思っていました。
ということで。初版、限定30部。
ですが、増やして、いろいろなところに持ちこむとは思います。
ほんとうにわたしの作品を好きでいてくれる人の所に、届くといいな。
弱いつながり
「環境を変え、考えること、思いつくこと、欲望することそのものが変わる可能性に賭けること」。
山梨へと向かう中央線の列車内でこの言葉に出会ったとき、電流が走ったのを覚えています。
東浩紀さんの「弱いつながり-検索ワードを探す旅」の言葉です。
まだ見ぬ場所への憧れ、そして「未知を既知にする」ことへの希望/ないしは、失望。
いずれにせよ、
「求めよ、さらば与えられん」と言われるように、
「行動しない」ことで見えることよりも、
「行動して」見えるものの方を、大方の人は好むように思います。
旅行、とは、一挙手一投足で旅人の運命の変わる、まさにそのことです。
そして、人生というものもまさに「旅」ではあるのですが、
・ロングスパンである以上、結果が見えにくい
・「自意識」があるがゆえに、自身の旅の結果が見えづらい
・生きている時間だけ、制限がない
ことに難点があるように思います。
しかし、旅行となると制限があります。
まず、日数が決められています。
そして、金銭的・時間的事項から、訪れる場所も決められてくるかと思います。
細かく言えば、食べるもの、お土産等々…際限がありませんが、
その中で、自分が、何を選択するのか。
選択したことで見えてくるものは、人生で得るものよりも明らかに、くっきりとみえてくることかと思います。
それが、たとえ短い出会いだとしても。
瀬戸内海の島の、銭湯のおばちゃんであっても、
東北のBRT(大船渡線・気仙沼線の鉄道代替バス)の運転士さんであったとしても、
見知らぬ街の横断歩道を行く、小さな子供の笑顔のほころびであったとしても。
「出会う、知る」は、新たな自分への、ひとつの糧となります。
その弱いつながりが、人生の指標になることも、
もちろん、あるのです。
そして、それを得るために、
また、私は旅をしようと思います。
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今回の展示も、ひとつの「旅」です。
はじめましての人と、どれだけ会えるか。
既知の人で、私が作品をつくっていることを知らない人が、
どんなふうに見てくれるのだろうか。
未知の私と、出会う旅。
すこしの不安と、
そして、希望を胸に。
ユージン・スミス
昔、愛知の写真専門学校では、卒業制作のテーマの中間発表の際に、必ず己のテーマは「念写!」と答える奴が、学年に1人が2人はいたとか、いないとか…。
(※某 Aンドウカメラ・Iさんより聞いた話)
わたしの使っているカメラは、ミノルタのSRT101です。
写真屋時代の先輩のお客さまからの、もらいもの。
学生時代、ガーリーフォトとポラロイドカメラ、そしてトイカメラの流行の只中にいて、
そこからカメラに興味を持ちましたが、
大学はとくに写真学科などあるところでもなく、ごく普通の田舎の文学部のようなもの。
でも、ひとつ運が良かったのは、全国有数の蔵書を持つ図書館があったこと。
その中で、ユージン・スミスの洋書の写真集を見ることができたのは、私の人生のひとつの転換期でした。
水俣病の患者を撮ること、
日本人のふつうの家族を撮ること
そのすべてに、ユージン・スミスの愛や、人としての情を感じるような気がしました。
正義とはなにか。そして、平等とは、自由とは。
美しさ、愛、生きるということ…。
ロバート・キャパのちょっとピンぼけ、も勿論ありましたが、
なぜか、私が惹かれたのは、ユージン・スミスの方でした。
正直私は、他の同業者に比べてカメラやレンズのことに詳しくありません。
くっきりと現実を写したり、スーパーリアリズムを追求するのならば、フィルムカメラは捨て、デジタルカメラに切り替えるべきなことはわかっています。
が、その中でも、「あいまいなもの」「空気」「情」を写すには、まだフィルムの方が優っているのではないかな、と、
やわらかな木漏れ日や、「あわい」の色の写り方を見て、思うのです。
…うん、
私もきっと、卒業制作は、念写って言ったかも、知れないな。
ともあれ、
ユージン・スミスと同じように、
人間的に公平な愛をもって、写真を撮り続けたい。
そう、思います。
海か、山か。
「旅をする」とき、行きたい場所として考えるものは何?
と、私の周りにアンケートを実施したところ、
「海か山か」でした。
昔、山梨在住の知人に「(愛知で)見たいところありますか?」と尋ねたところ、
「海が見たい、海が見られるところがないから」との返答に、ほお…と思いました。
そして愛知の田舎(海沿い)に住む友人からは、
「山って見てみたいじゃんね? 海は家から見えてありふれてるから」と言われ…。
そんなもんだよなぁ、無い物ねだり…。
私個人は、都市が好きです(軟弱な精神だと言っていただいて結構)!
でも、ストレスがたまると行きたくなるのは海かもしれません。
とはいえ大昔はてなダイアリーで書いて爆笑されましたが、
「秋の熱海に18切符で静かな海を期待して行ったら、まだ海水浴場が終わっていなくて悲惨な目に遭った」
思い出があるので、冬の日本海か、知床から見える海とかの方が好きです…。
ちなみに。結果DM採用した二つのうち、
海ver.は、私のinstagramで最もいいねを獲得したもので、高松⇄直島間の連絡船から撮ったもの。
山ver.は「山小屋」・高岳ヒュッテをイメージした、中央線の車窓から見た山梨の風景。
です。
あー、でも山もいいよなぁ。空気がいいの、最高!(どっちなんだよ)
猫派?
そして。
展示に伴い、ポストカードを作成する予定なのですが…
折角だからと、
現在、Twitter上で、投票を受け付けております。
https://twitter.com/les_stars_/status/920655256215678977
海、山、猫、珍風景、
どれがお好きですか??
20日23:59まで、受け付けております。
宜しければ、お答え下さいませ!
(やっぱり猫なのかなー?)
【追記】
まさかのRT事故発生。
誤字脱字を直すために該当ツイートを消したと思ったら、
元のアンケートツイートを消してしまいました、、
投票結果一位は、猫でしたね…
旅で出会った猫ちゃんで、良い写真、あったかな。
ありがとうございました…😹
旅をするということ
今週のお題「行ってみたい場所」
少し、とりとめもない話をします。
旅をしたくなる、というのは、皆様にとってはどんなときでしょうか。
もう何も考えたくないくらいに、ストレスがいっぱいなとき?
昔食べた美味しいものを、テレビで見たときでしょうか。
それとも、美しい風景や絵画展のチラシを見たときでしょうか?
そして、旅をする前と後とでは、
一体、自分に違いはあるのでしょうか?
見た、聞いた、食べた、等
観光は、経験として、目には見えませんが、自分の中に蓄積されてゆきます。
そして、
その経験が、さらなる旅を誘うことも、あると思います。
その中のひとつとして、
私にとって、「おや?」と思ったことを挙げると、
高松に行った際、福島の街の風景に「何かが似ている」と思ったときに感じた、不思議な気持ちがありました。
この二つの都市、どちらも行ったことがある人は、日本にもものすごくたくさんいる、とは言えないと思いますし、
ただの私の主観です。
が、福島駅に県庁から歩いたときに感じたものと、
高松の街中を歩いて思ったことが、とても似ていました。
あ、道がせり上がって駅方面に向かっていくの、何かが似ている。
とても寒い街と、あたたかで温暖な街に、
なにか共通点はあるだろうか。
それを「似ている」と感じた私の主観が正しいのか、あるいはこじつけなのかどうかは、直接街に行って判断していただくくらいしかないかな、とも思うのですが…
しかし、「知らない街」に「自分の知っている要素を見つけること」は、未知のものを、一気に身近にすることと思います。
そして、「知っている」の抽斗が多ければ多いほど、
その経験のクオリアが自分の中にあればあるほど、
「好きなもの」は増える、
即ち、「しあわせであることができる」ようにも思えるのです。
それが、私を、旅に連れて行くひとつの原動力になったのが、上記の、「高松福島似ている件」でした。
そして、もう一件。
名古屋に住む私が、たとえば桑名から名古屋に帰る際には必ず、揖斐川にかかる大きな橋を通ることになります。
私は、その、橋のかかる穏やかな川面を眺めることが、とても好きでした。
特に夕陽が映る瞬間が、なんとも言われぬ、郷愁を掻き立てるのです。
この、キュッと心臓を掴まれるような感じは、なぜ起きるのだろう。
そんなことを不思議に思っていました。
そして、あるとき、
その、 川の風景ととてもよく似たものを、
まさかの国外の風景を写した写真展で目撃したのです。
それは、日本からは近くて遠い地、
サハリン(旧樺太)の写真展でのことでした。
私の祖母は、樺太からの引き揚げ者だったのですが、
大きな川があって…などという話は、あまり聞いたことがありませんでした。
が、
目の前にあったのは、
とても、揖斐川の風景と酷似していて、
「ええ〜〜?!」と、思わず声を出してしまうほど、似ていました。
血の見せる記憶、などとは、言えないと思います。
が、デジャヴというには、あまりにも、不思議な気持ちになりました。
元々の私の、揖斐川の風景を愛おしく思う気持ちが、
樺太への郷愁を呼んだのか、
わかりません。
が、
そういったことは、わたしだけにあるものでとないような気がします。
そして、その積み重ねが、
日常において、非日常とのあわいを見せ、
また旅に出たいと、思わせるようになるのではないか。
…長くなりましたが、
わたしの行きたい場所。
それは、樺太です。
祖母は亡くなってしまいましたが、
彼女が体験したであろうことを、
わたしも見聞きしたい。
見聞きしてどうするんだ、といえば、
冒頭に戻って、
その方がしあわせそうだから、と、そうお答えします。
そして、そんなことのつまった展示を、
11/1〜11/12、名古屋 高岳ヒュッテで行います…
きてね!(←宣伝かい!!)