mellow yellow sky

All photos and words 2015- © ayako nakamura / All rights reserved / Photos and words may not be used without permission

ZINE、つくりました

まずZINE、とは。

自費出版で作る冊子のことです。
同人誌となにが違うのかというと、基本的には同じです(違いは語感くらいですかね?)。

 

今回の展示は会場の設営方法では伝えきれないと思っていたため、
紙ベースでの伝え方の方が良いのではないかと思っていました。

 

ということで。初版、限定30部。

ですが、増やして、いろいろなところに持ちこむとは思います。
ほんとうにわたしの作品を好きでいてくれる人の所に、届くといいな。

 

f:id:mellowyellowsky:20171103121915j:plain
f:id:mellowyellowsky:20171103121909j:plain

 

弱いつながり

「環境を変え、考えること、思いつくこと、欲望することそのものが変わる可能性に賭けること」。
山梨へと向かう中央線の列車内でこの言葉に出会ったとき、電流が走ったのを覚えています。


東浩紀さんの「弱いつながり-検索ワードを探す旅」の言葉です。

 

 


まだ見ぬ場所への憧れ、そして「未知を既知にする」ことへの希望/ないしは、失望。


いずれにせよ、
「求めよ、さらば与えられん」と言われるように、
「行動しない」ことで見えることよりも、
「行動して」見えるものの方を、大方の人は好むように思います。


旅行、とは、一挙手一投足で旅人の運命の変わる、まさにそのことです。


そして、人生というものもまさに「旅」ではあるのですが、
・ロングスパンである以上、結果が見えにくい
・「自意識」があるがゆえに、自身の旅の結果が見えづらい
・生きている時間だけ、制限がない
ことに難点があるように思います。


しかし、旅行となると制限があります。
まず、日数が決められています。
そして、金銭的・時間的事項から、訪れる場所も決められてくるかと思います。
細かく言えば、食べるもの、お土産等々…際限がありませんが、


その中で、自分が、何を選択するのか。
選択したことで見えてくるものは、人生で得るものよりも明らかに、くっきりとみえてくることかと思います。


それが、たとえ短い出会いだとしても。


瀬戸内海の島の、銭湯のおばちゃんであっても、
東北のBRT(大船渡線気仙沼線の鉄道代替バス)の運転士さんであったとしても、
見知らぬ街の横断歩道を行く、小さな子供の笑顔のほころびであったとしても。


「出会う、知る」は、新たな自分への、ひとつの糧となります。
その弱いつながりが、人生の指標になることも、
もちろん、あるのです。


そして、それを得るために、
また、私は旅をしようと思います。


=========================


今回の展示も、ひとつの「旅」です。
はじめましての人と、どれだけ会えるか。
既知の人で、私が作品をつくっていることを知らない人が、
どんなふうに見てくれるのだろうか。

未知の私と、出会う旅。
すこしの不安と、
そして、希望を胸に。

f:id:mellowyellowsky:20171027120039j:plain

ユージン・スミス

お題「カメラ」

昔、愛知の写真専門学校では、卒業制作のテーマの中間発表の際に、必ず己のテーマは「念写!」と答える奴が、学年に1人が2人はいたとか、いないとか…。

(※某 Aンドウカメラ・Iさんより聞いた話)

 

わたしの使っているカメラは、ミノルタのSRT101です。

写真屋時代の先輩のお客さまからの、もらいもの。

 

学生時代、ガーリーフォトとポラロイドカメラ、そしてトイカメラの流行の只中にいて、

そこからカメラに興味を持ちましたが、

大学はとくに写真学科などあるところでもなく、ごく普通の田舎の文学部のようなもの。

でも、ひとつ運が良かったのは、全国有数の蔵書を持つ図書館があったこと。

 

その中で、ユージン・スミスの洋書の写真集を見ることができたのは、私の人生のひとつの転換期でした。

 

水俣病の患者を撮ること、

日本人のふつうの家族を撮ること

そのすべてに、ユージン・スミスの愛や、人としての情を感じるような気がしました。

 

正義とはなにか。そして、平等とは、自由とは。

美しさ、愛、生きるということ…。

 

ロバート・キャパのちょっとピンぼけ、も勿論ありましたが、

なぜか、私が惹かれたのは、ユージン・スミスの方でした。

 

正直私は、他の同業者に比べてカメラやレンズのことに詳しくありません。

 

くっきりと現実を写したり、スーパーリアリズムを追求するのならば、フィルムカメラは捨て、デジタルカメラに切り替えるべきなことはわかっています。

 

が、その中でも、「あいまいなもの」「空気」「情」を写すには、まだフィルムの方が優っているのではないかな、と、

やわらかな木漏れ日や、「あわい」の色の写り方を見て、思うのです。

 

…うん、

私もきっと、卒業制作は、念写って言ったかも、知れないな。

 

ともあれ、

ユージン・スミスと同じように、

人間的に公平な愛をもって、写真を撮り続けたい。

そう、思います。 

希望

【希望】欲望と期待とを丸めて一つにしたもの。
(アンブロワーズ・ビアス「悪魔の辞典」岩波文庫より)

希望の小瓶を作ったくらいですから、色々考えましたが、

これ以上の皮肉はないなと思います。

 

それにしても、2連続で希望を蒔いた野蒜という土地に、

私が以前web担当として勤めていたK社のセンターができたと聞いたときは、

なんの偶然やねん…と、orzの体勢になりましたとさ。

海か、山か。

お題「海派? 山派?」

 

f:id:mellowyellowsky:20171019235830j:plain

「旅をする」とき、行きたい場所として考えるものは何?
と、私の周りにアンケートを実施したところ、

「海か山か」でした。

 

昔、山梨在住の知人に「(愛知で)見たいところありますか?」と尋ねたところ、

「海が見たい、海が見られるところがないから」との返答に、ほお…と思いました。

そして愛知の田舎(海沿い)に住む友人からは、

「山って見てみたいじゃんね? 海は家から見えてありふれてるから」と言われ…。

そんなもんだよなぁ、無い物ねだり…。

 

私個人は、都市が好きです(軟弱な精神だと言っていただいて結構)!

でも、ストレスがたまると行きたくなるのは海かもしれません。

 

とはいえ大昔はてなダイアリーで書いて爆笑されましたが、

「秋の熱海に18切符で静かな海を期待して行ったら、まだ海水浴場が終わっていなくて悲惨な目に遭った」

思い出があるので、冬の日本海か、知床から見える海とかの方が好きです…。

 

ちなみに。結果DM採用した二つのうち、

海ver.は、私のinstagramで最もいいねを獲得したもので、高松⇄直島間の連絡船から撮ったもの。

山ver.は「山小屋」・高岳ヒュッテをイメージした、中央線の車窓から見た山梨の風景。

です。

 

あー、でも山もいいよなぁ。空気がいいの、最高!(どっちなんだよ)

猫派?

そして。

展示に伴い、ポストカードを作成する予定なのですが…

 

折角だからと、

現在、Twitter上で、投票を受け付けております。

 

https://twitter.com/les_stars_/status/920655256215678977

海、山、猫、珍風景、

どれがお好きですか??

20日23:59まで、受け付けております。

宜しければ、お答え下さいませ!

 

(やっぱり猫なのかなー?)

 

【追記】

まさかのRT事故発生。

誤字脱字を直すために該当ツイートを消したと思ったら、

元のアンケートツイートを消してしまいました、、

投票結果一位は、猫でしたね…

旅で出会った猫ちゃんで、良い写真、あったかな。

ありがとうございました…😹

旅をするということ

今週のお題「行ってみたい場所」

 

少し、とりとめもない話をします。

旅をしたくなる、というのは、皆様にとってはどんなときでしょうか。
もう何も考えたくないくらいに、ストレスがいっぱいなとき?
昔食べた美味しいものを、テレビで見たときでしょうか。
それとも、美しい風景や絵画展のチラシを見たときでしょうか?

そして、旅をする前と後とでは、
一体、自分に違いはあるのでしょうか?

見た、聞いた、食べた、等
観光は、経験として、目には見えませんが、自分の中に蓄積されてゆきます。

そして、
その経験が、さらなる旅を誘うことも、あると思います。

その中のひとつとして、
私にとって、「おや?」と思ったことを挙げると、

高松に行った際、福島の街の風景に「何かが似ている」と思ったときに感じた、不思議な気持ちがありました。

この二つの都市、どちらも行ったことがある人は、日本にもものすごくたくさんいる、とは言えないと思いますし、
ただの私の主観です。
が、福島駅に県庁から歩いたときに感じたものと、
高松の街中を歩いて思ったことが、とても似ていました。

あ、道がせり上がって駅方面に向かっていくの、何かが似ている。

とても寒い街と、あたたかで温暖な街に、
なにか共通点はあるだろうか。

それを「似ている」と感じた私の主観が正しいのか、あるいはこじつけなのかどうかは、直接街に行って判断していただくくらいしかないかな、とも思うのですが…

しかし、「知らない街」に「自分の知っている要素を見つけること」は、未知のものを、一気に身近にすることと思います。

そして、「知っている」の抽斗が多ければ多いほど、
その経験のクオリアが自分の中にあればあるほど、
「好きなもの」は増える、
即ち、「しあわせであることができる」ようにも思えるのです。

 

それが、私を、旅に連れて行くひとつの原動力になったのが、上記の、「高松福島似ている件」でした。

 

 

そして、もう一件。

 

名古屋に住む私が、たとえば桑名から名古屋に帰る際には必ず、揖斐川にかかる大きな橋を通ることになります。

私は、その、橋のかかる穏やかな川面を眺めることが、とても好きでした。

特に夕陽が映る瞬間が、なんとも言われぬ、郷愁を掻き立てるのです。

 f:id:mellowyellowsky:20171019140017j:image

この、キュッと心臓を掴まれるような感じは、なぜ起きるのだろう。

そんなことを不思議に思っていました。

 

そして、あるとき、

その、 川の風景ととてもよく似たものを、

まさかの国外の風景を写した写真展で目撃したのです。

それは、日本からは近くて遠い地、

サハリン(旧樺太)の写真展でのことでした。

 

私の祖母は、樺太からの引き揚げ者だったのですが、

大きな川があって…などという話は、あまり聞いたことがありませんでした。

が、

目の前にあったのは、

とても、揖斐川の風景と酷似していて、

「ええ〜〜?!」と、思わず声を出してしまうほど、似ていました。

 

血の見せる記憶、などとは、言えないと思います。

が、デジャヴというには、あまりにも、不思議な気持ちになりました。

 

元々の私の、揖斐川の風景を愛おしく思う気持ちが、

樺太への郷愁を呼んだのか、

わかりません。

 

が、

そういったことは、わたしだけにあるものでとないような気がします。

 

そして、その積み重ねが、

日常において、非日常とのあわいを見せ、

また旅に出たいと、思わせるようになるのではないか。

 

…長くなりましたが、

わたしの行きたい場所。

それは、樺太です。

祖母は亡くなってしまいましたが、

彼女が体験したであろうことを、

わたしも見聞きしたい。

 

見聞きしてどうするんだ、といえば、

冒頭に戻って、

その方がしあわせそうだから、と、そうお答えします。

 

そして、そんなことのつまった展示を、

11/1〜11/12、名古屋 高岳ヒュッテで行います…

 

きてね!(←宣伝かい!!)